『咸臨丸 海を渡る』 |
咸臨丸の艦長は勝海舟(37歳)。アメリカ側から乗り込むことになったブルック大尉(34歳)は太平洋横断の経験があった。中浜万次郎(33歳)は通詞として。彼は航海士としての実力も備えていた。
従者のなかには福沢諭吉(25歳)も。そして、本書の著者である土居良三の曾祖父に当たる長尾幸作(25歳)も搭乗していた。彼は航海日記として『鴻目魁耳』(こうもくかいじ)を書き残す。
この曾祖父の記録を元に、さらにブルックの日記をも参照し、太平洋横断のドラマを明らかにする。とくに往路、荒天のなかでの日本人の狼狽ぶり――大洋航海の未経験故の――を活写する。一方で危機的状況でのブルックの沈着な指揮ぶりは、サムライの風貌すら感じるほどである。
浦賀を出帆した3日後から暴風雨に見舞われる。ピッチングが激しく波が甲板に打ちこみ溢れ、1メートルを越えて川のように流れている。ブルックは日記に書く、「天候はひどい荒れ模様。日本人の水夫は帆をたたむことができないので、部下をマストに登らせた」と。
すでに咸臨丸の運航はアメリカ人の手に一切任されていたようだ。「非常に荒い海で、しばしば波が打ちこむ。日本人は全員船酔だ。艦長は下痢、提督は船に酔っている」。 → こちら
◆『咸臨丸 海を渡る』土居良三、中公文庫、1998/12刊