『紙つなげ!彼らが本の紙を造っている』 |
従業員には矜持があった。「自分たちの中では、石巻は日本製紙の基幹工場という気持ちを持っているんです。その工場をつぶしたら日本製紙はダメだろうという危機感はいつもありました」。日本製紙は、日本の出版用紙の約4割を担っている。「この工場が死んだら、日本の出版は終わる……」
2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、宮城県の日本製紙石巻工場は津波に呑みこまれる。工場の機能は完全に失われた。従業員の誰もが「工場は死んだ」と言うほと絶望的状況だった。「工場が復興できる」と思ったのは誰もいない。工場の1階部分はすべて泥水に埋まり、周辺から流入してきた瓦礫が2メートルは積もっている。電気も通っていない。建屋内は真っ暗で、何が流入しているのか、まるで予測がつかなかった。
将来の展望がまったく見通せないなかで、工場長は半年での復興を宣言した。その日から、従業員たちの必死の闘いが始まる。電気もガスも水道も復旧していない状態での作業は困難を極めた。従業員はみな、工場のため、石巻のため、そして、出版社と本を待つ読者のために力を尽くした。
震災から半年後の9月14日、ついに石巻工場8号マシンの再稼働の日がやってきた。全長111メートルの巨大マシンを、紙がスムーズにつながるのは通常でも難しい。少しでも不具合があれば、紙はどこかで切れてしまう。紙を最後のリールまでつなげる作業を「通紙」とよぶ。これには最低でも1時間、遅いときには数時間かかる。関係者は長時間を覚悟していたが、意外にもスムーズにつながった。パーンと華やかな音を立ててエアカッターが紙を切り離し、紙はシューッという音と同時にリールに巻きついていく。「一発通紙だ!」の歓声があがる。
この日、東日本大震災から半年、石巻工場は息を吹き返した。誰もが想像しえなかった半年復興だった。
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