プッチーニ 《西部の娘》 |
まさかオペラで西部劇でもないだろうと、敬遠気味であったのだが。
薄幸のヒロイン。貧しくとも心豊かな人々の群れ。何か影を背負っているような男、……。
まさにプッチーニの世界である。ときにヴァイオリンが切ない甘い調べを奏でる。
これで、《トスカ》とか《ボエーム》の十分の一でもピリリと薬味の効いたアリアが、ひとつでもあったら万全だったのに。いまひとつ物足りない。管弦楽の響きも充実したものではなかったか、プッチーニはこのあと《蝶々夫人》を作曲しているのだから。
第1幕、ミニーの登場場面もオケの鳴りっぷりが印象的。幕切れのミニーとジョンソンの二重唱も熱い。第2幕の終幕。ミニーと保安官ランスのからみ。ミニーがトランプをごまかして、ジョンソンをものにするくだり。まさにR.シュトラウスの《サロメ》を彷彿とさせる音楽だ。サロメがヨカナーンの首を所望する場面を連想させる。《サロメ》は1903-5年の作曲、《西部の娘》は1910年。プッチーニもいろいろ研究したのだろう。
オケも存分に鳴り響く。能力ぎりぎりまで鳴らしきっている。音量のバランスがオケに偏っていないか、特にティンパニの強打が耳についたのだが、これは4階座席のせいかも。
終幕は、結局ハッピーエンド。センチメンタルな気分がただよう。
観客の中から鼻水をすする音も聞こえました。
終始、全3幕を通して、段ボール箱が主役となって舞台上で頑張っている。
どこかスーパーの倉庫という感じ。フリーターが集まっているという雰囲気か。西部劇ではなく、普遍化しようとの試みだということは分かる。しかし、その結果が段ボールではアイデアが?
歌手では、ディック・ジョンソン役の、アティッラ・キッシュが圧倒的に感じた。声量も充分であった。ミニーが最初は線が細いと感じたが、第3幕は聴き応えがあった。
ミニー:ステファニー・フリーデ
ジャック・ランス:ルチオ・ガッロ
ディック・ジョンソン:アティッラ・キッシュ
アシュビー:長谷川顯
ソノーラ:泉良平
指揮:ウルフ・シルマー
演出:アンドレアス・ホモキ
合唱:三澤洋史 指揮、新国立劇場合唱団
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団