解体屋の戦後史 |
東京タワーは、まちがいなく戦後のたくましい日本の復興~高度成長のシンボルでもあった。スカイツリーは、失われた10年だか(もう20年にもなるらしい)の黄昏の中に輝くランドマークのようでもある。
本書『解体屋の戦後史』は著者・生方幸夫の数多い著作のなかでも、本書は1994年の刊行であるが、ノンフィクションのベストワンではないか。幅広い取材をベースにして、解体を縦軸に、解体を依頼した側を横軸に重ね合わせてテーマを浮かびあがらせ、ユニークな視点から戦後史をとらえている。
1950年に始まった朝鮮戦争は53年に休戦協定が結ばれた。米軍は軍需物資を大量に日本の民間業者に払い下げ、その払い下げ物資に戦車も含まれていた。戦車は解体され形鋼に加工され、最終的に東京タワーの一部になったという。米軍戦車は細い鉄骨として使われたらしい。当時、日本には、基幹産業である高炉会社はまだ十分に育っておらず、大量のスクラップ――戦車のスクラップはかなり質のいいものだった――は貴重だった。
東京タワーの建設は1957年6月に始まった。1000トンから1500トンが百メートルから上の細いアングルとして使われた。東京タワーの実測重量は約3600トンだから米軍戦車は東京タワーの3分の1強を占めていることになる。