ドン・ジョヴァンニの魅力 |
それにしても、《ドン・ジョヴァンニ》といえば、どうしてこんなおどろおどろしい演出になるのか!
舞台前面には、終始、ドクロが散乱している。墓場らしいのだが。
最終幕、ドン・ジョヴァンニは、この墓場に蹴り落とされて幕切れとなる。
舞台のやりきれない暗さに反して、音楽は透明感にあふれ清々しさまで感じさせる、
モーツァルトの魅力を引き出して万全の演奏であったのではないか。
大野和士のポリシーは、作曲家のメッセージを率直に伝えることか。
オペラであれば、舞台と音楽を統合するものになるはず。
そのポリシーがいまや、大きな魅力にまで成長している。
聴衆を引きつける磁力に加えて、カリスマ性まで帯びて来たのではないかと思わせる。
もう一つのキーワードは、「啓蒙的」――こんな大時代的な言葉しか出てこない――、ということではないか。「ここに、こんな魅力が隠れていますよ」、「作曲家の工夫がこんなところにあります」とか、ていねいに教えてくれる。
自らからチェンバロを弾くというのも、この啓蒙的姿勢の表れであろう。たとえば第2幕冒頭の、レポレッロとドン・ジョヴァンニのやり取り。レポレッロの嫌気がチェンバロの響きによって倍増される感があった。
また、前日に、「子どもたちに贈るオペラ《ドン・ジョヴァンニ》」という企画を、
やはりオーチャードで開催しているのも、いかにも大野和士的である。
モネ劇場のオケも素晴らしい、指揮者との一体感が感じられる。
大野は既にモネ劇場で3年とのこと、両者のコンビが錬れて良い状態になってきたか。
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