2つの日本語論 |
(1)『漢字が日本語をほろぼす』田中克彦、角川SSC新書(2011/5刊) → こちら
(2)『日本語の科学が世界を変える』松尾義之、筑摩書房(2015/1刊) → こちら
それぞれ興味深く読んだのだが、乱暴にくくってみれば、前者は「漢字廃止論」、後者は「日本語礼賛」と言っていいだろう。
現代の日本語表記の核心である「漢字」についての評価が、2つの本の著者がお互いに180度異なるのである。漢字のもつ表意性に優位点を認める立場と、それ故に、習得に訓練時間を要することに問題を認めるもうひとつの立場である。
前者では、漢字にはわかものを英語に追いやる効果があるという。手書きのメモなら、「今夜Telします」と書くに違いない。「今夜、電話します」よりも絶対に優勢だ。「電」はもはや多くの人にとって手間のかかる書きにくい文字というわけだ。
後者では、「科学こそ、日本語でやるべし」との強いメッセージがある。著者は、最初は英語によるサイエンス礼賛主義者であったのに、いつの間にか、日本語による科学や技術の手法、それを生み出す日本の科学観や技術観の方がより本質的で大事だと思うようになったそうだ。
「漢字」を表意文字としてとらえ、それぞれがその特質を論じているように感じる。例えば表音文字の代表選手と思われるハングル文字についても、2つの側面をとらえている。
前者では、韓国ではいっさいの漢字を廃してハングル専用を法律に定めて実行した結果は絶大なものだという。これによって字の読めない人はほとんどいなくなったと。さらに見落としてならないのは、韓国が先進的な企業活動で驚異的な成果をあげているのは、これまたハングルがもたらした業績にほかならないことだと。
一方、後者は、韓国ではハングル優先で漢字を棄ててしまったために、多くの同音異義語が区別しきれなくなり、重要な知識や概念を失うだけでなく、厳密な議論もできなくなったという。